勉強する意味とは何か?
勉強して何になるのか?
勉強する価値がわからない。
人それぞれ勉強についての悩みや疑問は色々あると思いますが、より多くの人に共通した勉強する理由の1つに「知識を身につける」というのがあると思います。
ではどうして知識を身につける必要があるのか?
何のために知識を身につけるのか?
ここではその「知識を身につける理由」を考えてみます。
日頃勉強することに疑問を感じていたり、「勉強しなさい」と散々言われてウンザリしている人はこの記事を参考に、勉強に取り組むための新たな視点を頭の片隅に入れておいてみてください。いつかこの記事の内容をふと思い出してくれれば幸いです。
ということで次のイラストを見てください。
どう見えますか?
例えばこれ、どう見えますか?
おそらく「タマゴ」という人が多いかとは思います。私もこのイラストを「卵」で検索して見つけましたから、このイラストを描いた人も「卵」をイメージして描いたと思います。このように答えた場合、モノに焦点を当てた答え方だといえます。
でも人によってはこのイラストを、「楕円形」と答える人もいると思います。確かに楕円形をしているから、その発想自体間違えではないですよね。正しいか間違えかで言ったら、正しいです。このように答えた場合、カタチに焦点を当てた答え方だといえます。数学的なとらえ方といっても良いかもしれません。
人によっては、「白と灰色のグラデーション」と答える人もいると思います。実際この図は、右上から左下に行くにつれて徐々に色が暗くなっていますよね。だからこれだって正しい答えといえます。このように答えた場合、状態に焦点を当てた答え方だといえます。美術的な視点からのとらえ方といっても良いかもしれません。
さらに人によっては、「バットで打ち返された野球のボール」と答えるかもしれません。このように答えた場合、ある1つの事柄に時間的な変化を考慮し、そこからストーリーに繋げる創造力に富んだ答え方だといえます。少し大げさですが、国語的・文学的視点でのとらえ方ともいえるかもしれません。
そのほか、考えられる答えとしては「イラスト」とか、「図形の教材」とか、「コンピューターグラフィック」とか「宇宙船」とか、色々あるかと思います。そしてもっと他にもあるかもしれません。
様々な視点からとらえる
で、ここで何を言いたいのかというと、
「1つの物事をどれだけ様々な視点からとらえることができるか」
ということ。
先のイラストがどう見えようが、正しいも間違えもないんですよね。もっとも、イラストを描いた人は何かをイメージして書いていると思いますから、何をイメージして描いたかを当てるという意味では正解があるかもしれませんが、少なくとも「単純にイラストを見てどのように見えたか」に関しては正解不正解は存在しないはずです。
だから、宇宙船に見えたというならそれはやっぱり立派な見え方だし、そのように見えた人に対してとやかく言うのは、それこそ間違っているわけです。むしろ宇宙船と答える人は想像力が豊かだともいえるかもしれません。
例えば100円硬貨だって、正面から見れば「100」が見えて硬貨だと判断できるかもしれないけど、イラストの目の位置だけから見たら、金属にただギザギザがついた物にしか感じず、100円という価値に気づけずに終わってしまうかもしれない。
ある物事を1つの視点からしかとらえられないでいると、その物事に対する見方・考え方もやはり1つしか出てこなくなります。つまり考える幅がグーーーー~っと狭くなってしまうんですね。
ということは、「気づける機会自体がなくなってしまう」とも言えるはずです。
このことは何も「物」に限ったことではない。目で見ることができない抽象的な事柄についても同じことが言えます。
だから例えば何でも良いですが1つ大きな悩み事を持っていたとする。その悩みに対して1つの視点からしか考えられなかったとする。するとどうしてもその1つの視点から考えた1つの解決策しか出てこなくなる。その1つの視点から考えてたまたま悩みが解決すれば良いかもしれないけど、大抵1つの視点から考えただけでは解決などできないのが実際のところ。なので悩みを解決していくには様々な別の視点から考えていく必要が出てきます。
ならば、別の様々な視点から考えられるようにするにはどうすれば良いかというと、「知識を身につける」ということになってくるわけです。
知識を身につけるためには
ではどうすれば知識を身につけることができるのか?
その手っ取り早い方法は学ぶことです。これは何も学校の勉強に限ったことだけではなく、日常のありとあらゆることが学びの対象です。今この記事をスマホで読んでいると思いますが、この記事から何かを得られればそれだって立派な学びになります。
でも、日常のありとあらゆることが学びの対象だからといって全てを学ぼうとしたら、それこそ莫大な量になってしまい頭がパンクします。だから学ぶといっても限度がある。
「頭の限界には達しない程度、でもそれでいて最低限これだけは物事を様々な視点で考えていくために押さえておきましょうよ」っていう事柄、それが小学校・中学校の「義務教育」で扱う学習内容なのではないでしょうか?
もちろん義務教育で扱う内容や量も莫大な量ですよ。覚えるのも大変です。中には難しいものだってあるし、こんなの日常生活でいつ使うんだよと思う事柄もある。
で、確かに日常生活で直接使うものは、中学レベルの学習内容になるとあまりないんですよ。
でもその「日常でほとんど役に立っていないなぁ」と思っている事柄も、自分自身で「考える視点が広がっているなぁ」とふと思えたとき、学んだことに意味があって人生において大きく役立っているのではないか。
そう思うのです。