子どもを無気力状態にしてしまう言い方

否定表現は人を無気力状態にしてしまう第一歩 

 今回は親子のコミュニケーションで、怒るor叱る時に気をつけておきたい、そして最悪の場合、無気力状態にまでしてしまう「言い方」「表現」について考えてみます。 

 例えば、子どもが学校のテストで100点満点のうちで10点だったとする。
 すると保護者としてはふつう「遊んでないでもっと勉強しないとダメでしょ」と怒ります。さすがに100点満点中の10点ではいくらなんでもってところはありますけど。
 では100点満点中で70点だったとしたら?
 点数だけでいったらまぁ悪くはない。けれど特別良いというほどでもない。なので褒める程ではないけど、かといって「もっと勉強しないとダメでしょ」と叱る程でもない、微妙な点数であります。だいたい60〜75点位が褒めるか叱るかの分かれめ的な位置づけの様に感じます。

 さて、この様に「褒めるか叱るかの分かれめ」になると、褒める時は褒める要素を色々探すと思いますが、逆に、叱るor怒る時はダメ出しの要素を色々と探すと思います。そして怒る時(叱る時もそうですが)にはネガティブな表現で怒ったりしてしまいがちです。「どうして○○しないの!!」とか「○○じゃないでしょ!!」という具合に。
 このように怒る時や叱る時は「ない」という否定の表現を使っていることが多いはずです。

「今言ったことは忘れて下さい」と言われて・・・

 例えば誰かと約束をする時に、相手方の言い分を呑んで約束をしたとします。でも相手方が何だか間違えていたことに気づき、すぐにその約束を撤回して別の約束をしたとします。その際、「今言ったことは忘れて下さい。○○の方でお願いします」と言われたとします。
 今までにこれと似たような経験はありませんか?
 こう言われると少々困ってしまうのではないでしょうか。

 相手側の心理としては、文字通り前文は忘れて欲しいわけです。もちろんこちら側としても相手の言い分は解るから前文を否定していると解るのですが、ここでちょっとかみ砕いて解釈して欲しいんですね。

 というのは、「忘れて下さい」と言われた時点で、たとえ一瞬だったとしても忘れて欲しいことを思い出す必要がこちら側にあります。つまり忘れるべき物事を思い出さなければならない。でも思い出すわけだから忘れることにならない。
 つまり忘れようとすればするほど忘れることができない、というパラドックスに陥ってしまいます。「忘れる」ために「何を」にあたる物を無意識的に考えてしまうこの思考メカニズムは、おそらく人間の誰にでも当てはまるものだと思います。

 このパラドックスは「○○しない」とか「○○してはダメだよ」といった表現でも同じようなことになってきます。

 子どもがテストで10点を取ってきたらつい「遊ばないで勉強しなさい」と言ってしまいます。これも思考のメカニズムを考えると、「遊ばない」と言った時点で遊ぶことを無意識にでも想像する必要が出てきます。もちろん文脈全体で考えれば勉強しなければならいなんだなぁと理解できるんですが、一瞬の無意識的な思考の中でどうしても遊びを思い出したり考えたりしてしまうのです。

無意識的に考えさせる表現

 このメカニズムって、考え方によっては思考を誘導していることにもなりますからね。だってそうでしょ、遊ばないでと言った時点で遊びを考えるんだから。無意識的ですけどね。
 さてここで、無意識的だったら考えたことにならないじゃないか!! という反論が出来そうです。
 でも無意識だからこそ怖いんです。
 なぜなら本人が気づいていないからです。
 本人が気づいていないうちに考えてしまうからです。

 まぁでもこの程度なら遊びをすぐ思い出せるから、ムダな思い出す作業をすぐに終了できるんです。しかし、ムダな思い出す作業を永遠と繰り返させてしまうかなり誘導的な言い方があります。

 それが 「どうして○○なの!!」 です。どうしてに対する答えが見つかるまで結構長く無意識的に考えますよ、この言い方は。

 ところで突然ですが、この記事を読もうと思ったきっかけを考えてください。

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 考えてくれました?
 考えてない人は考えてくださいね。

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 考えてくれた方、ありがとうございます。
 考えてくれなかった方、そうですよね、いちいちめんどうですよね。

 どうしてめんどうに思うのかというと、私が指示を出しているからです。

 考えてくださいという指示があることで、その指示に対して従うか反抗するかの選択ができます。そして反抗するための理由の1つとして、めんどうと感じたと考えられます。

 ここで強調しておきたいのが、考えるかどうかの「選択ができる」ということ。
 
 「○○してください」というと、するかしないかの選択ができます。選択ができるということは、相手に対して自由度があるということになります。意識して考えることを保証されていると言ったら大げさですが、理屈上考えないことも成り立つ問いかけ方です。


 ところでどうしてこの記事を読もうと思ったんですか?

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 答えは出ました?
 
 先の問いかけで考えてくれた方はまた聞くのかと思ったかもしれませんが、考えてくれなかった方は、この問いかけに対して無意識的に「どうして」の答えを見つけようとしたと思います。そしてほとんどの方は一瞬考えたと思うんです。

 先の問いかけでは指示という形になっていましたが、この問いかけでは指示になっていません。
 質問の形になっています。
 ですが先の問いかけもこの問いかけも、問いかけに対する私が求めている行動は同じ「考えること」です。

「どうして」の問いかけは理由を探し続けさせる

 「どうして」と投げかけた時点で、相手に対し無意識的に考えさせるアプローチをしていることになります。これは上手い方法でもあるし、逆に怖い方法でもあります。
 「どうして遊んでばかりいるの!!」と言ったら、まぁこれについてはすぐに答えが出てきます。遊んでいる方が楽しいからでしょう。
 このようにすぐに答えが出るものについて「どうして」と問うならいいんです。
 でも、すぐに答えが出ないものに対して「どうして」と問いてしまうと、これがなかなか厄介なことになってきます。
 なぜなら、すぐに答えを見つけられない物事について無意識的に自分で理由を探し続けようとしてしまうからです。

 ということは、答えが出ないことや、そもそも答えがないことについて、無意識的に答えが出るまでずっと探し続けてしまう、ことだってあり得るのです。
 そしてこのことがとても恐ろしい事態にまで発展してしまうこともあるのです。

 例えば大事な仕事でミスをしたとします。その時上司から、「どうしていつもミスばかりするんだ」と怒られたとします。
 このとき無意識的に一瞬だったとしても、「どうして」についての原因や理由を探すはずです。その答えがすぐにわかればいいんです。でも真面目な人ほど、原因がわからなければわからないほど一生懸命に原因を探そうとしていくものです。懸命に探しているけどどうにもわからない。ついさっきあった出来事、今日一日のこと、昨日や一昨日のことを一生懸命に考える。考え続ける。ずっとずっと考え、色々考えても理由が見つからない。そんな中で行き着いた答えが「能力がないからミスしたんだ」だとしたら、もう仕事辞めようかなんて究極の結論にまで追い込んでしまいますからね。
 上司にそんな思いはさらさら無かったとしても、「どうして」の問いかけにはそこまで考えさせる力が働くのです。

 答えの見つからないことを永遠と探し続けていたら、そりゃ心が疲れてしまいますよ。無気力になって当然です。

 嘘だと思うなら実際にやってみて下さい。職場でも家庭でもどこでもいいですが、答えがなかなか見つかりにくい「どうして○○なの」という問いかけ。あるいは自分の能力に原因を見つけていくような「どうして」の問いかけ。

 言われた側はかなりの確率でやる気を失い無気力状態になりますから。


 どうしてそんなことも覚えられないの! そんなことだからテストでいつも悪い点ばかり取るんでしょ!! いつまでもゲームなんかやってないで勉強しなさい!!!」

 この様に怒る人、気をつけて下さい。