要注意!!「子どもが遊ばないように宿題をたくさん出せ」という保護者

 寒い時期になると肉じゃががおいしく感じます。八百屋さんに売っているニンジンやジャガイモを見ると、どう料理するとおいしくなるかとつい考えてしまいます。
 肉じゃがは具材をそんなに多く使わないし安上がり。作るのに手間はかかりますが、手間をかけた分だけ確実においしさも増しますよね。火を止めて寝かせておくこともおいしさが増す条件。ん~m、奥が深い。
 寝かせることで具材1つ1つの味をトコトン引き出せて味が倍増するなんて、普段料理をしないとなかなか思いつかないです。私、料理のこと全く詳しくないもので・・・。
 でも、味を良くしようとあれもこれもとガンガン入れてしまうと、かえって味が悪くなってしまいます。それ位は私でもわかります。

宿題をいっぱい出せという注文 

 今回の本題に入ります。もうずっと何年も前のお話ですが、

 『うちの子はすぐに遊んでしまうから、宿題をいっぱい出してください』

と注文をつけてくる保護者がたまにいました。
 またかつて学習指導ボランティアをやっていた時に、教室責任者からやはり同様に『子どもはすぐに遊んでしまうから、宿題をいっぱい出してください』と命令されたことがあります。
 保護者が言ってくる分にはまだ10000歩譲って許せるんですが、仮にボランティアだとしても教育に携わる立場の人間がその発言ではちょっと・・・、納得がいかないというか教育に携わる素質がないというか・・・。別に保護者やそのボランティアをディスる訳じゃないですが、冒頭の『うちの子はすぐに遊んでしまうから、宿題をいっぱい出してください』はかなり危険な論調かと思われます。

 これ、解る人はすぐに解りますが、かなり酷いことを言っています。
 えっ、なぜかって?
 これって宿題を出さないのはもちろんのこと、宿題の量が保護者の主観だけで見て少しだったとしてもクレームの対象になりますよ、理論上。
 
 冒頭の文脈は、
 『子どもが遊ぶのは宿題が少ないからだ』
となっています。この時点で、何か変だぞ!? と思いませんか?

 宿題が多ければ遊ばないのかというと、そうじゃないですよね。多くたって遊ぶ子は遊びます。宿題がどんなに多かろうとやらずに遊ぶ子だっています。
 逆に宿題がなくても勉強する子だっています。

 そもそも宿題って何のために出すのかってことですが、授業中の大切な部分や補足しておきたい部分、伝えておきたかった部分を繰り返し練習させるために宿題を出すわけです。じゃぁどうして繰り返し練習させたいのかというと、「確実に知識を定着させる」ため。言い方を変えると、「忘れないようにする」ため。

忘却曲線

 エビングハウスの忘却曲線というのがあります。簡単に言うと、物事を学んだばかり、記憶したばかりの時はよく覚えているけど、時間が経つにつれ忘れてしまう事柄が格段に増えてしまうというもの。何かを学んでも1時間後には50%近くのことを忘れてしまい、1週間後になると80%近くの内容を忘れてしまう、という実験結果が出ているくらいです。

 「記憶」というのは3つの要素で成り立っています。
 記銘・・・ある事柄を覚えること
 保持・・・覚えたことを持ち続けること
 再生・・・思い出すこと。

 人間の脳は幸か不幸か忘れることができるのですが、やっぱり大事なことは覚えておきたいものです。で、もちろんただ忘れるだけではなく、覚えた事柄を保持しておくことも出来るわけです。そのためには繰り返すということが重要になります。その「覚えた事柄を保持し、再生するための手段の一つとして宿題」があるわけです。
 ということはですよ、
『覚えておきたいことを確実に覚えるまで繰り返し、自在に思い出すことができるようになったらその宿題の役割は終了した』
と言えますよね。

 じゃぁどの位の量があれば覚えられるのかというと、それは人それぞれ違います。A君は3あれば覚えられるけどB君は5必要だとかいう感じに。また、かかる時間も当然人それぞれ違ってきます。
 だからまぁ、学校のクラスの様に何十人も生徒がいて一律に同様の宿題を出すと、ちょうどよい量と思える生徒もいれば、多い・少ないと感じる生徒も出てきてしまうわけです。でもそれは学校であるがゆえに仕方ないことでもあります。

遊ばせないための手段

 ここで冒頭の『うちの子はすぐに遊んでしまうから、宿題をいっぱい出してください』に戻ります。
 これって保護者・ボランティア責任者の宿題についての認識が「子どもを遊ばせないための手段」になっています。するとここで1つ疑問が生じます。
 
 「なぜ子どもを遊ばせてはいけないのか?」

 この疑問に対しての答えは私には分かりません。保護者やボランティア責任者に聞いてみないと分かりません。
 
 そりゃ、授業中だったり宿題をすると決めた時間だったらそれこそ「勉強しろ!!」とはなりますよ。でも勉強すべき時間にしっかり勉強した、宿題に取り組む時間に取り組んで覚えるべき事柄をしっかり覚えた、その後に遊ぶのなら全く問題ないじゃないですか。でも冒頭のことを言ってくる保護者・ボランティア責任者は、もう遊ぶことが我慢ならないんですね。一瞬たりとも心休まる時間があるなら勉強させろって感じなんですよ、本当に。次から次へと問題を出せ、休みを与えるななどなど。寝る時間すら人生のムダだなんて言ってる位でしたし。
 宿題を出す側としては、「その日の内容を定着させるためにここまでの範囲を宿題として出し、無事に宿題の役割が完了すれば授業も完結したことになるし、子どもにとっても得られることが十分にあるだろう」と計算して出すわけです。それは内容もそうだし、量的にも計算してのことです。
 なので「いっぱい宿題を出せ」と言われると、宿題を出し授業の補完ができ生徒にも得られることがあったにも関わらず、さらに要求してくるのかとなるわけです。八百屋さんでの買い物に例えるなら「ニンジン1本おまけしてくれたけど少ない感じがするからジャガイモも3個おまけしろ」と要求しているようなものです。もし要求に応えるんだとしたら、その要求の本質は何なのかを見極めないと保護者・ボランティア責任者に応えられなくなります。もっともその要求に応える必要もあるのかってことですが・・・。八百屋さんの例では要求するなら金払えってことですし、要求の本質を見極めるために肉じゃが作るのかな、いやカレーかな、それともポテサラかななんていちいち考える義務もないですよね。

内面の問題である疑い

 ここまで読んでくださった方のほとんどは、保護者・ボランティア責任者がちょっとおかしいとお気づきだと思います。 
 おそらくですがこの保護者・ボランティア責任者は、子どもが勉強していない姿を見るのが不安なんでしょうね。なぜ不安なのかは色々理由があると思います。周りの生徒と比べることで、未来の漠然とした事柄に対し何をすればいいのかが分らずにいて不安になっているのかもしれません。本当の理由は本人に聞かないとわからないですし、本人でも分かっていないかもしれません。
 でも1つ、確実に言えることがあります。

「その不安はその人の内面の問題だ」ということ。

 つまり保護者・ボランティア責任者は、自分の不安を解消するために自分自身のものの見方や考え方を変えたりするのではなく、その不安を子どもに投影させて子どもをコントロールすることで解消しようとしていると考えられます。
 だから子どもが学校やそれ以外の場所でどんなに頑張っていても、保護者・ボランティア責任者が何ら変わらなければ絶対に不安が解消されることはないし、現状が変わることもない。
 そういう状況の中で勉強している子どものことを考えてみて下さいよ。どれだけ神経をすり減らしていることか。私がみた当時中学生だったその生徒はもう精神的にクタクタでしたよぉ、本当に。それこそ数日から数週間程度の長い休憩が必要でした。
(中学卒業後全く連絡を取っていないので、もう立派な成人になったその生徒が今何をしているのかは判りませんが、バーンアウトしていないことを祈るばかりです。)

 保護者が不安になる気持ちは解ります。不安から心に余裕がなくなってしまうのも仕方ありません。でもその余裕のなさが、子どもに無用のプレッシャーを与えてしまっていることだって充分あり得るのです。
 保護者に余裕がなくなってきた時は勉強から離れて、別のことに心を向けた方が色々な意味で生産的になれるかと思われます。たとえば美味しい肉じゃがの作り方を考えるとか。

 勉強するのは時間はかかりますが、時間をかけた分だけ確実に学力も増しますよね。時々休んで何もしないことも学力が増す秘訣。ん~m、奥が深い。
 休むことで生徒1人1人の能力をトコトン引き出せて学習の成果が倍増するなんて、普段から子どもと一緒に勉強していないとなかなか気づかないです。私、それなりに子どもたちと関わってきました・・・。
 でも、成績を良くしようとあれもこれもとガンガンやらせてしまうと、かえって結果が悪くなってしまうこともあります。それはわかってください。





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