計画を制する者は受験を制する

 久しぶりに車の運転をしてみたくなって、本屋さんで車の運転の本を立ち読みしていました。改めて読んでみると、教習所に通っていた時とはまた違った発見もあるものですね。

・車を動かす時には一番大きな力が必要になる。
・走り続けている時は惰性で走れるから力は必要ない
・止まる時にはまた大きな力が必要になる。

 普段から運転している人には当たり前のことですが、私の様に普段運転しない人間からするとちょっとはっとしたところがあります。
 「目的地までしっかり計画を立てて余裕を持って運転しましょう」との一言には思わず、うん〜 となりました。

夏を制する者は受験を制するの意味

 車からいきなり勉強の話ですが、受験生にとって夏は重要な時期ですよね。この言葉には、「まとまった時間を作れる時期だからこそ有効に過ごしていこう」そういった意味があるはずです。

 じゃあ有効に夏を過ごすにはどうすればいいかというと、必然的に計画を立てていくことになってきます。そう、つまり志望校合格を目的地とするならば、そこにたどり着くまでの計画をしっかり立てようとなるわけです。

 ところでこの受験勉強についての計画。おそらくほとんどの人は計画を立てる時に、受験がある1月〜2月を念頭に入れてそれまでの間にどんなことをするか、何をできるようにするかという様に考えると思います。
 で、大概その計画は上手くいかなくなるんですね。最初の1、2週間位は気合も入っているから何とか計画をこなしていこうとなるのですが、1か月が過ぎ夏も終わると計画通りに行かなくなり、最悪、計画を立てていたこと自体を忘れたりします。そしてだらけてしまったりとか・・・。

 でもそれって仕方ないことなんですね。というか、それが普通なんです。そうなるのが当然のことなんです。なぜか?

 計画を立てている最中は、勉強がスイスイ進んでいる状態をイメージして計画を立てていると思うんです。車で例えると、時速80kmで高速道路を走っている状態。
 一度車を動かすと実はあまり力を必要とせず、摩擦や空気抵抗などを無視して坂道や信号とかも無いとすれば理屈上ずっと同じ速さで動き続けるんですね。理科でやった等速直線運動ってやつ。だから走り出した車は走っている方が楽なんです。

 計画を立てている時って、言い換えれば、この楽に勉強が進んでいる状態であることを無意識的に前提として考えてしまっている。だから実際に勉強していくと楽じゃない状態を目の当たりにすることになり、色々な意味で疲れてしまい計画通りに進まなくなってしまう。そういうことなんです。

 計画を立てる時は最高の状態よりも2、3割減の状態を念頭に入れた方がよろしいのかなと思います。それで計画よりも速く進むなら問題ないじゃないですか。

計画を立てる時に気をつけたいこと

 時速80kmで高速道路を走っている車は、時速80kmになるまでに、時速1kmの状態があり、時速2kmの状態があり・・・、20、21、22・・・57、58、59・・・というように、当たり前ですが途中の段階があります。段々時速が上がっていきますがその間は力が必要です。でも速くなればなるほど必要な力も少しで済んできます。
 力を必要としないのは意外にも一定の速さで走っている時のみ。

 逆に一番力を必要とするのは止まっている状態から走り出す時。0から1になる時。

 勉強の計画を立てている時は、努力を均等割りして考えていると思います。つまりスタート地点である今から、目的地である志望校合格までに必要な努力をずっと同じままで考えている。
 それってやっぱり疲れるんですよ。
 勉強だって力を入れるべきところと力を必要としないところもあるわけで、今まで勉強していなかった状態から勉強をし始めようとする時にはどうしても強い力は必要です。車が走り出す時に一番力を必要とするのと同じで。止まっている車を動かす際いきなりハイスピードで動かそうとトップギアにするとエンストするのと同じで。

 だから何を言いたいのかというと、初めの時にこそしっかり力を入れて、ゆっくりと進みだしましょうよってことなんです。
 そうすることで、まず動くこと(勉強すること)に慣れる、慣らす。するとペースを作れてきてゆっくりだけどスピードも上がってくる。段々スピードが上がってくれば初めの時ほどの力は必要なくなってくる。気づいたら結構なスピードになって順調に進められ、力を入れる必要もなく進められるようになった。
 
 そして目的地近くになったら余裕を持って進められていた。

 こんな状態になれるように計画を立てましょうってことなんですね。

 力を入れるべき時にはしっかり入れる。力を抜く時には徹底して力を抜く。
 力を抜いている所だけを見てしまうと「何さぼってるんだ!!」となってしまいがちですが、全体を通して見ると決してムダではない、むしろ必要な力の抜きもあるわけです。