「効率よい勉強」と「効率よい罰」

 前回は良子さんとナンパ野郎のやり取りを通して正と負、強化と罰について、日常使っている時と心理学的視点に立った時では言葉の意味に違いがあるということを紹介しました。心理学的視点で見た場合、これらの言葉は刺激と行動頻度の増減を考えていることになります。

 ところで、ナンパ野郎は本当に勉強が嫌で嫌でしかたない奴だとします。するとナンパ野郎にとって「勉強」そのものは嫌悪刺激と言えます。だから極力勉強から避けたいと思っている。一方、大人としてはナンパ野郎に勉強させたいと思っている。だからあれこれと宿題を出したりする。

 さて、ここでナンパ野郎の立場になって考えてみて下さい。
 勉強は苦痛の原因です。大人はその苦痛の原因を与え続けようとしています。この時、普通に考えてナンパ野郎は「ハイ、勉強させていただきます」とはならないですよね。まぁ勉強から距離を置くことを考えるでしょう。(おそらく街へ出かけてナンパかと…。)
 元々勉強の頻度が少ない。そこへ大人が嫌悪刺激を与える。そしてナンパが増えてくる。
 つまりナンパ行動が増える手続きをしているという意味で「正の強化」がなされていることになります。

 逆に大人の立場で考えてみて下さい。
 大人は勉強は良いものだということで与えようとします。しかし結果は勉強頻度が下がることに。
 つまり「正の罰」の手続きがなされていることになります。
 そしてこの罰は、日常使っている通りの意味での罰として、ナンパ野郎に苦痛という形で影響していくのです。

 この手続きをずっとずっと何回も繰り返していくとどうなると思いますか?
 ナンパ野郎の勉強嫌いに歯止めがかからなくなりますよね。

 勉強嫌いになってますます勉強しなくなったナンパ野郎を見て、大人はおそらくこう思うはずです。
 『ナンパ野郎は勉強しなくてしょうがないなぁ…。』
 もちろん大人としては、ちょっとした愚痴の範囲なんでしょう。

 一方ナンパ野郎に伝わる心理学的に翻訳されたメッセージは
 『ナンパ野郎は罰を受けなくてしょうがないなぁ…。』
となるわけです。

 で、困った大人としては解決方法をあれこれ調べるんですよ。
 『効率よく勉強させるにはどうすればいいんだろう?』と。
 もちろん大人としては、勉強は大切という意味で考えるわけです。

 一方ナンパ野郎に伝わる心理学的に翻訳されたメッセージは
 『効率よく罰を受けさせるにはどうすればいいんだろう?』
となってくるのです。

 さらにです。理由はどうあれナンパ野郎が勉強をしたとします。その姿を見て大人は嬉しくなる。そして何かの本に、褒めて育てるのが良いと書いてあったのを思い出し、褒めたとする。大人としては完全に「褒めて伸ばす」という考えで褒めるわけです。
 一方ナンパ野郎からしたら、勉強嫌いであることは変わりない。嫌いなことをやって褒められた。

 ここでです。ここでナンパ野郎がどうなるのか?

 もし褒められてうれしくなって勉強するようになったとしたら、『それは褒められるために勉強する』ということになります。目的が褒められるためですよ。知識を得るための勉強じゃなく、褒められるための振る舞いを身につけているのと同じですよ…。そんなことのために正の強化を施したってしょうがないですよねぇ?
 良子さんが褒められて嬉しくなって化粧の練習したのとは訳が違いますからね。
 
 褒められたいから勉強する。一方大人としては、勉強している姿を見ることで安心感を得られるから褒める。
 もうこうなると何のための勉強だよって思いますよ、私だったら。
 
 前回、今回と、正がどうした罰がなんだと回りくどく書いてきましたが、一番言いたかったのがまさにここです。
 褒めて育てる。そう、確かに大事なことです。間違いないです。でもその表面的なことだけにとらわれて単純に褒めることをしてしまうと、事の本質を見失ってしまいごくごく一時の喜びで終わってしまう、ということになってしまいます。

 よく「褒めて育てます」なんてセリフを聞きますが、私なんかは「本当に大丈夫なんですか?」なんてちょっと疑ってかかってしまう。褒めるには事の本質を見抜く目が必要になるだけに、私は軽々しく「褒めて育てます」とは言えないのです。




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