やる気を引き出すアプローチを考える

想像力

 前回の記事では肉じゃがを作る過程を例にしましたが、今回もちょっとだけ肉じゃがで例えます。
 具材を温める時、何もしないでいても仕方ないですよね。「あったかくな〜れ、あったかくな〜れ」っておまじないかけたって温まることはないですし、それで温まるのはせいぜいメイド喫茶にいる時くらいです。当然温めるには火が必要になります。火を使って強制的に温度を上げていくわけです。
 当たり前だ!! って怒らないでくださいよ。ここに今回の記事のポイントがあるんですから。

 火をつける。時には強火にすることも必要ですし、弱火でぐつぐつする時も必要。美味しく作るコツは、その時々の調理の過程によって火加減を変えていくこと。
 具材そのものを美味しく育てていくために、時に強い強制をかけ、時に弱く強制したりして。強弱のバランスを取りながら時間をかけて作っていく。調味料を入れたり、そして隠し味になる物を入れて食べる人にプチサプライズを仕掛けたりして、作ってる本人もいつの間にか楽しみながら作っている。
 作っている本人が楽しくて、食べてくれる人が美味しいって言ってくれれば、ジャガイモやニンジンが多少いびつだったとしてもそんなことはどうでもいい。そういえば〇分クッキングで大根を入れてたから今日は真似してみようと思い、普段やらないことをちょっとやってみた。そしたら思った以上に美味しく出来た。
 自信を持って肉じゃがをみんなの前に出したら、みんな完食してくれた。
 嬉しくって肉じゃが作りに自信もついた。

 1度や2度はこんな感じのことがあったと思います。

最初の最初は、しなければならない

 子どもが勉強しない時、つい「勉強しろ」といってしまいがちです。そして今まで私が書いてきた記事の中では、「勉強しろ」と言ってしまうのはあまりよろしいことではない、という論調で進めてきました。
 でもそれを言わないといけない時も、やっぱりいつかは出てくる。
 その「勉強しろ」にあたるのが、肉じゃがでいう「火」です。
 やっぱり最初の最初は火が必要なんです。
 勉強に向かう姿勢ができていない子に対しては、最初の最初は「勉強しろ」がどうしても必要なんです。ただ、加減に注意しないといけない。ずっと強火で肉じゃがを作り続けたら焦げちゃうのと一緒で、ずっと「勉強しろ」と言い続けたらそりゃ子どもが焦げちゃいます。まして最初の最初にいきなり強火にしたら肉じゃがどころかただの焼じゃがいもになってしまう。最初の最初に「勉強しろ」の強烈な一撃をくらわせたら間違いなく子どもに拒絶反応が出てしまう。
 最初は強制が必要だけど、度を越したらいけない。そういうことです。

 ただ、「勉強しろ」ではあまりにも具体性に欠けるので、勉強の苦手な子や勉強の仕方がわからない子にとっては、今一つピンとこない表現になってしまいます。なので本当に最初の最初は具体性を持たせた言い方で伝えるのが良いかと思われます。例えば「〇ページの△番をやりなさい」とか「□の意味を教えてよ」ってな具合に。
 強制するからには強制する側にも責任がある。だからその責任を全うするためにもやるべき部分を明確に示す。そういう考えでいれば安易に勉強しろとは言えず、具体性を持った指示ができると思います。

やってみようか、という気持ち

 ここなんですよね。結局この気持ちをどのようにして育てていくか。
 これが上手くいけば自然と、子どもから自主的に勉強へ向かう姿勢も育つんです。でもそれが難しい。
 よく、『やる気を育てるためには自信をつけてあげればいい。自信をつけさせるには褒めて育てていけば良い。だからいっぱい褒めてあげましょう。』だなんて軽々しく言う輩がいますが、それを聞くと本当に薄っぺらい奴なんだなとつくづく思う。確かにそうなんですよ。その論調自体は間違っちゃいないんですよ。
 でも一番大切な「何をどう褒めるか」が完全に抜けているんですよ。だからポイントのズレた褒め方をしてむしろ逆効果になってしまうことだってある。「何をどう褒めるか」なんて「相手や状況によって異なる」から、褒めることは本当に難しいんです。なので私は、安易に褒めて育てますとはとても言えないのです。例えばですよ、

 肉じゃがを作ったとする。
 「今日の肉じゃが美味しいねぇ」と言われたとする。この時どう思うか?
 人によっては「美味しい」に反応して喜んで、また作るでしょうね。
 人によっては「今日の」に反応して、じゃぁいつもは不味いのね。となって2、3日気まずい雰囲気になるでしょうね。

 子どもがテストで90点を取ったとする。
 「90点なんてスゴイよ」と褒めたとする。
 難問ぞろいで平均点が50点とかだったら褒められて嬉しいでしょうね。
 簡単なテストで周りは全員95点以上だったら、屈辱かもしれないですよね。最悪の場合、やってらんねぇ〜よ、ってなるかもしれない。

 こんなことがあるかもしれない。だから「やってみようか」という気持ちをもたせるための「褒める」には、かなりのリスクを伴うと承知しておいた方が良いです。

できると思えるようにする

 なので、やってみようかという気持ちをつくるには、「できる」と思えるようにすることが大事になってきます。
 人は誰だって、できないことをやろうとは思わないですよね。
 逆に人は誰だって、できるようになりたいとは思うものなんです。
 
 肉じゃがを作る時、美味しく作ってみようという気持ちがあった。その工夫として大根を入れると美味しくできると思った。実際に入れてみた。美味しくできた。自信を持った。
 勉強だってそうです。元々はできるようになりたいって思っていたはずなんです。
 
 じゃぁ何で勉強を避ける子がいるのかというと、勉強そのものが嫌というより、勉強に取り組んだ結果として得られた何かに対して、ネガティブなイメージを取り込んでしまったからだと考えられます。
 例えばですが、勉強した先にある物が何なのかわからない、つまり見通しがつかない。見通しがつかないから苦労するだけで終わる。こんなイメージがあるのかもしれません。
 あるいは、頑張ったのに頑張っただけの結果がなかったとか。

 こんなネガティブイメージを払拭するには、今できることをコツコツと確実にこなしていく。これしかないんですよね。
 だからスモールステップで成功体験を確実に重ねていくのは大切なんです。

結局、楽しんでいるかどうか

 ある程度の見通して立てて、できることをコツコツとこなしていけば、少なくとも「できる」という実感は持てるわけですから、つまらなくてつまらなくて仕方ないという最悪の状況だけは避けられます。
 でも最悪の状況を避けるだけでは、やっぱりやっててつまらない。なのでそこに少し遊びを入れていく。肉じゃがで例えるなら隠し味みたいなものです。いつもは入れない大根みたいなものです。
 頭のカタイちょっとアレな人は、遊びというと、遊びという言葉だけに強烈な反応をして怒り心頭でクレームをつけてきますが、そのカタイ頭の余裕の無さが、「やってみようか」という気持ちを根本から摘み取っているのもまた事実です。

 勉強している本人が楽しく色々身につけていけば、鉛筆の持ち方やノートの書き方が多少いびつだったとしてもそんなことはどうでもいい。
 やってること自体に楽しさを感じなければ先を見通すことができない。ほんの3分の遊びが実は勉強の本質をついていることだってあるのです。




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