子どもの成長と、興味・関心の質の変化

 動機づけについて投稿するのはこれが4回目ですが、前回は内発的動機づけが高まるのは興味・関心を持った時だ、といった内容を書きました。だから子どもが勉強へのやる気を高め自ら勉強するようになるには、子どもの興味・関心があることに関連付けてアプローチをすればよい、ということになります。

興味や関心の質は、年齢や発達とともに変化する

 ところで、興味・関心の質というのは年齢や発達とともに変化していきます。
 というのは、幼児期など年齢的に若い段階では知的好奇心が旺盛で色々なことに興味・関心を持ちます。そこに面白さや楽しさを感じ積極的に関わろうとします。つまり、「面白いからやってみる、楽しいからやる」というのをストレートに表現するのがこの頃の特徴といえます。
 例えば、よちよち歩きの赤ちゃんに鈴の音がするボールを転がすと興味を示しますよね。これは、音がして面白いから興味を持った、だからそれで遊ぼうとした、と考えられます。
 もしかしたら幼児期のこの経験が基になって、成長した時に「音について研究をしよう」と思ったり、「図形に関心を持ってデザインの道」に進んだり、「ボールと友達になってサッカー選手を目指し」たりするかもしれません。

 ところが年齢や発達とともに、「面白いからやってみる、楽しいからやる」という流れから、「自己実現のためにやってみる」というように興味・関心の質が変化してきます。それに伴い、「面白いからやる」という動機も相対的に低くなってきます(あくまでも相対的に低くなるのであって、全く無くなる訳ではないです)。そりゃそうですよね?血気盛んな中学生に鈴の音が出るボールを転がしたところで相手にされないし、ボールを投げつけられて終わるのがオチです。
 
 つまり年齢が上がるにつれ、徐々に自己実現と関連づけたアプローチをしていけばうまく動機づけられるということがいえそうです。
 だから、「子どもが勉強しなくて困っている」ときや「勉強へのやる気がない」ときに、『勉強しなさい』と叱りつけるのは意味の無いこと、いや、むしろよろしくない方向に作用してしまうことだってあるのです。
 乳幼児期の子どもを勉強に向かわせたいのであれば、「ボールで一緒に遊ぶことが=勉強」になるし、中学生だったら、「今投げつけたボール痛かったけど、何Nの力で投げたんだ? そういえば今度の理科のテスト範囲は力だったよな?」とでもいっておけば多少は勉強に向かいますよ、少なくとも『勉強しろ』と命令するよりかは、きっと。

 とまぁ、中学生のは冗談ですが、でも勉強しろの一点張りのアプローチは学ぶ意欲を高めることに何ら効果がないということだけは解っていただけると思います。

自己実現と関連させたアプローチ

 ところで、自己実現というと夢を叶えるとか、何かができるようになるとか、そのようなニュアンスを持ちますが、そういうことではありません。
 自己実現とは、ありのままの状態であることを言います。じゃぁ、ありのままとはどういうことかというと、まさにあの歌の歌詞の通りのことなんです。別に雪とか氷は必要ないですし、風に乗って飛び出す訳でもないですが、意味内容としてはあの歌の歌詞がピタッとくる。

 もう少し具体的に書くと
・先入観を持たず、客観的でいる
・自他を共に尊重できる
・失敗を恐れない
・自分で意思決定する

と言った感じが自己実現の意味です。

 つまり年齢とともに、上記の事柄を獲得することに興味・関心の質が変化してくるということです。
 なので小学校の高学年あたりからは、上記のこと刺激するようなアプローチを施していくと、子どもが勉強に向かう姿勢を育てられる可能性が高いということです。

 特に「自分で意思決定する」というのは大きいですよね。主体的な生き方に直結しますから。そして主体的な生き方には判断力が必要になります。判断力を磨くには知識が必要になってきます。知識はまさに勉強で得られますよね。

そうすると次のような考えが成り立ちます。

 子どもは自己実現しようと考えている。そこには必然的に勉強が重要になってくる。そのことは意識的にも無意識的にも子どもはその重要性を感じている。ただ、どんな行動を通して勉強するのかが判っていない。だから行動に反映されないし、したくてもできない。いわば立ち止まった状態にある。
 その状態を見た大人は、子どもを見て何もしていない、ただ遊んでいるだけだと解釈してしまう。そこで出てくる大人の言葉が「勉強しろ」。
 でも子どもだって単に遊んでいるわけでも立ち止まっているわけでもない。色々考えている中での止まった状態。自己実現のために何をしたら良いのかがわからないだけ。その答えを探している最中。そして自分で意思決定するための練習をしている。
 そんな中大人から勉強しろと言われたら、意思決定の機会を逃し答えを見つけられなくなってしまう。だから反抗する。
 その反抗に対しさらに大人が強制をかけたら、答えを見つける機会そのものが無くなってしまう。それは考えること自体を否定されたに近いこと。結果としてありのままでいること自体の否定につながる。つまり学ぶ意欲を削いでいることになっている。と。

 随分とまわりくどくちまちま書きやがって、と思うかもしれませんが、これを全否定する根拠もないと思います。

 学ぶ意欲、勉強へのやる気を自己実現のために必要な心のメカニズムとして考えてみると、大人の「勉強しろ」の一言は何ら効果が無いということも納得いただけると思います。




前ページ