間違えるからこそ得られることもある

 間違えること。あまり嬉しいことではないですよね。できれば間違えはしたくないことです。間違えなければ何事も効率よく進められそうですし、なにかと良いことがたくさんありそうな気にもなってきます。

 先日ちょっと用事があって出かけたんですが、慣れない場所だったんで道を間違ってしまいました。だから随分と時間がかかってしまって・・・。幸い余裕をもって出かけたから時間は大丈夫だったんですが、ちょっと焦ってしまいました。

子供の勉強を親が見守っているところ

 ここでちょっと思い出したことが。
 これまた先日のさらに先日のことですが、私がよく行くコーヒーショップに母親と小学校低学年の親子連れが来ていました。そこで親子が問題集を広げて勉強していたんですね。国語で説明文だか何だかの問題をやっていたみたいなんです。
 で、私の仕事がら子どもが勉強している所を見るとものすげ〜気になるものでして。なのでPCを出して仕事しているフリをしながら世界遺産を適当に検索しつつ、その親子のことをチラ見してたんですね。

 その子はもくもくとしっかり取り組んでいて、その様子を見る母親も嬉しそうな表情。まぁわが子がしっかりと勉強に取り組んでいる姿を見ればそれは嬉しくはなりますよね。
 一通り問題を解き終わって答え合わせ。子どもが赤ペンに持ち替えてセルフ採点したらどうやら全問正解だったご様子。
 全問正解だった答案を見て母親の喜びはMax。「よくできたねぇ〜」とか「すごいよ」等々、褒めまくっていました。
 
 その一方子どもはというと淡々とした表情。
 大人っぽいと言えば聞こえは良いのかもしれませんが、親子での感情の表れ方(表し方?)の違いにちょっと違和感を持ったんです。

次も間違えない様にがんばろうね

 いろいろ褒めまくって声も弾む母親。そのあとの締めの言葉で「次も間違えない様にがんばろうねぇ」と。

 この一言にPCを広げて仕事しているフリをしていた私は衝撃を受けたんです。

 PCも動揺したらしく「熊野古道」と変換するはずが「クマの子どう」と間違えるほどかなりの衝撃を受けたみたいです。

   世界遺産の熊野古道
   クマの子どう?


 おそらくこの親は何の深い意味もなく言った一言のはずなんです。というより「次もがんばろう」というエールを送る意味で言っていると思うんです。
 で、ほとんどの人はもし同じ状況にあったら同じような言葉がけをして励ますと思うし、第3者としてその光景を見ていたとしてもそもそもドキっとすることも無いと思うんです。

 じゃぁ何に対して私はドキっとしたのかというと、「次も間違えない様に」という一言があったことなんです。もう一度書きますが、おそらくこの親は何の深い意味もなく言った一言のはずなんです。だから自然と「次も間違えない様に」という言葉も出てきているんだと思います。

 でもこの一言を子どもの視点から考えて欲しいのです。
 「間違えない様にがんばろう」ということは、間違えることは悪いことだというメッセージを暗に伝えていることになります。
 子ども(特に小さい子)にとって親が言うことは絶対だから、子どもは悪いことをしない様に必死になってがんばろうとするわけです。
 さらに「次も」という一言があることは当然続きがあるわけです。子どもにとって「悪いことをしてしまうかもしれない状態がまだ続く」ということにもなってきます。
 悪いことをしたら怒られる。そりゃぁ子どもはもくもくと取り組まざるを得なくなりますよね。勉強嫌いになってしまう原因になるかもしれません。
 「クマの子どう」レベルの間違えじゃ済まされないほどの緊張感だってあったかもしれません。「クマの子どう」ならカワイイと答えますが、「次も」だと恐怖さえ感じるかもしれません。

 褒められても淡々としていたのは子どもなりにこのようなことを考えていたからなのかと思うと、何だかなぁって感じがするんですよねぇ。

 たぶんこの親子、以前に問題を間違えたことでトラブルだか何かがあったんじゃないかと思うんです。あくまでもたぶんですよ。で、子どもとしてはあまり良い記憶が無い。親としても間違えたことをあまり良く思っていない。それで「次も」という言葉が自然と出てきた。
 そう推測するのです。

 すると親子の表情の違いがすんなり納得いくんです。

間違うからこそ得られるものもある

 失敗してもそこから何かを学べば失敗ではなくなるとか、失敗は成功するための実験過程だとかいろいろ言いますが、ホントそう思うんです。
 失敗や間違え、そこから得られる物事や気づきも絶対あるはずなんですね。もっと言ってしまえば、失敗や間違えをするからこそ本当の成功の価値が理解できると思うんです。
 だから「間違えない様に」というのは突き詰めていくと、「本当の成功の価値を理解させない」と言っていることと等しいのではないでしょうか?
 見方を変えると、「子どもが本当の成功の価値を理解することに恐怖を感じながら問題に取り組んでいる」とも言えるかと思います。

 もちろんその親子が悪いと言っているわけではないですよ。私が見たのはその親子のごくごく一部分でしかないからそれでとやかく言う気は一切ありません。
 ただ、何気ない一言に、自分でも気づかない思わぬメッセージが含まれていることもある、ということを伝えたかったのであります。

 ちなみになんですが、
 おいしそうなケーキ屋さんを見つけました。道に間違えなければ発見できなかったお店です。またそこに用事がある時に寄っていこうと思います。