想像力と創造力

 普段の授業の中で生徒と関わる時、常に意識していてほしいと思うことがあります。まぁ授業に限らず日常生活の中でもだし、自分自身にも言い聞かせていることなんですが。

 「表もあれば裏もある」

 裏もあるんだってことを常に意識していてほしいと思っています。普段、表ばっかりを見ていると裏の存在をすっかり忘れるんですよね。別に裏じゃなくて、斜めの方向でもいいし、表にあるけれど埋もれている物でもいい。
 要はある1つの見方で腑に落ちたらもう全てを知ったと思うのではなく、別の見方はないかと常に考える様にしてほしいと思っています。

 人って普段はやっぱり見えるもの、想像できるものしか信じないですよね。
 だから表だけしか見ていないってことは別の視点から見ることをしないってことだから、見えないものは見えないままとなってしまいます。
 見えないままということはつまり想像できないままということだし、まして見えないままの物を信じることなんて絶対不可能、ということにもなってきます。信じないということは、その人の中では存在していないことと同じことだから、結局その人の世界そのものが狭いものになっていくのと同じ、と言えるのではないでしょうか。

 ところで「想像しなくなる」ということは、「創造できない」ことにつながってきます。だってそうでしょ? 像を想うから創り出すことができるんだから。ということは創造できないということは、何か困ったことが起こった時に自分の力で解決することができない、ということにもなってきます。
 これって怖いことだと思いませんか?
 問題の解決策を創造できないんだから、解決してくれる人が来るのを待つことしかできない。でも解決してくれる人が来る保証なんてどこにも無いんだから、もしかしたらずっと解決できないままになってしまうかもしれない。
 些細なことなら解決しないままでもいいかもしれませんが、日頃の生活に関わってくるような深刻なことだったら痛いどころじゃなですからね。

 何か自分にとって不都合なことがあった時、何かとすぐ人のせいにする輩がいるものです。〇〇が悪いんだとか、社会が悪いんだとか…。(そりゃもちろん自分の力だけではどうにもならないことだってありますよ。でも本当に自分にはどうにもならないことって限られると思うんです。)
 そういう人って結局物事を表の1点からしか見ていないんだろうなと思うんです。だから創造力が働かないし、解決策を創っていく概念自体も欠落しているんだろうなぁとさえ思ってしまう。

 創造力って大事だなぁ。だから想像力って必要だなぁ。ということは学校の勉強って重要なんだなぁ。と、ここ最近のウイルス関連の報道を見て思うのでした。




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